千と千尋の神隠しの解説

千と千尋の神隠しの解説です。この映画ではアイデンティティのがテーマです。アイデンティティは自己同一性という意味です。つまり自分で自分の存在意義と価値を認識しているという事です。テーマについてもっと言うとアイデンティティの消失と発見、商品の消費と生産がテーマとなっています。映画内で消費のシーンと言えばひたすら食べること。映画の描写では食べることはアイデンティティを消失することと関係があります。そして映画の中でキャラクターがアイデンティティを再び見つけるとき、必ず千尋に何かを吐き出したり、引き抜いてもらったりするわけです。例を挙げると

1、千尋の両親が我を忘れて料理を食べるあまり、豚になって我を忘れた。(消費によってアイデンティティを消失)

2、腐れ神っぽいのが、千尋に大量のごみを引っこ抜いてもらって、川の主に戻る。(浄化によってアイデンティティを取り戻す)

3、自分が何者かわからないカオナシが料理を食べまくる。(アイデンティティの渇望が無限の食欲となった)

4、ハクが苦団子食わされて、ゆばーばの魔法のドジョッチを吐き出し、そのしばらく後に自分を思い出す。(自分の中のしがらみを捨て、本来の自分を取り戻す)

ここでアイデンティティを失ったキャラクターは6人です。千尋、お父さん、お母さん、ハク、川の主、カオナシですね。まず千尋についてみていきましょう。冒頭で千尋はかつての学校から転校する道の途中でした。転校で友人関係がすべて消えてしまい悲しそうな千尋。友人から別れの際に貰ったカードを大切に持っていました。ここで千尋にとっては自分のアイデンティティの一部である学校の友人関係を失っています。そんな千尋が今度はゆばーばの館で多くの人(神)のアイデンティティを思い出させたり、引き出すわけです。カオナシもその中の一人でした。ただカオナシだけは過去がよく分からない、つまり最初から自己がないのです。そしてカオナシアイデンティティを求める衝動が暴食となって現れます。しかしカオナシは食べることによってでは自分のアイデンティティを見出せません。するとカオナシ千尋を再度求めます。カオナシアイデンティティ千尋との関係に求めますが千尋カオナシの砂金を受け取りません。するとカオナシは怒り、暴れますが、カオナシは苦団子を食べさせられ何から何まで吐き戻し、ひょろひょろとなります。そして千尋と電車に乗って、ぜにーばのところでまじめに働きました。ここでカオナシは生産することによってアイデンティティを確立させたのです。

この物語は日本の現代歴史です。80年代の経済大国、日本はまさに大量消費によって成り立っていました。これは序盤で描かれる多くの神々が館でくつろぐシーンですね。そして大量消費社会のピークがまさにバブルでした。カオナシが金をばら撒き無限に消費していくシーンですね。つまり

宮崎駿さんの人間観は汚れた存在という見方です。いくらいい人間でも人間はどこかに必ず汚れた部分があり、完全な浄の世界には属することができません。そうなると人間がいる限り、この世から汚れは絶えません。この汚れこそ消費です。これこそ宮崎監督がナウシカを原作で慈悲と破壊の混沌と描いた理由です。この辺の哲学はナウシカの原作を読むことで分かっていただけるとおもいます。そしてそんな人間が作り上げた文明世界は清いはずがないのです。これに対し、人間の介入を一切許さない自然こそ真の清い世界なのです。未来少年コナンでインダストリアの文明利器を何一つ持ち帰ろうとしませんでしたし、トトロで田舎の中でも人が全くすまない森にトトロがいます。

このコンセプトで千と千尋の神隠しを考えると

 

パトレイバー2の解説

こんにちは。このブログでは主にアニメの個人的な見解を書きます。一回目はパトレイバー2です。見ていない方は見てからがいいですよ。

ここで解説するのは主に二つ。戦後という幻想と映画とは何なのかです。

この映画ではまず二つの危機が起きていることに注目。一つは柘植の架空のテロ。もう一つは水面下の危機。すなわち、今の日本の現状です。

最初の柘植のテロの面白いところは人を一人も殺さないこと。そして政治的な目的もないことですね。ここが架空とか幻想とか言われる所以ですね。ただ戦争という状況を作り出すことで人々に自分のメッセージを伝えたかったということです。

もう一つの危機は日本の現状ですね。この映画ではここが大事です。これが柘植せ(というか荒川)のメッセージとなっています。それは戦後という幻です。ここではそれを三つの点で解説します。

1暴走する官僚組織

第二次世界大戦では関東軍の暴走により、日中戦争がはじまりました。パトレイバー2ではこの軌跡をたどるかのように、警察組織が暴走します。その暴走が、自衛隊との対立を煽ることになり、事件の原因となります。私たちは戦後日本は穏健な官僚組織を持った平和な国という幻を抱いていたのです。あと馬鹿な親分をもって苦労するのも共通点と言えば共通点。

アメリカとの戦争

柘植のテロを裏で操っていたのはアメリカでしたね。アメリカの狙いは柘植の企てによって、日本が混乱に陥って、「もう自衛隊ではどうすることもできない!」、となった時に出動してついでに、占領範囲を広げることでした。これは荒川と後藤さんの電話での会話で明かされていますね。日米は仲良しという戦後の否定ですね。

3東南アジアは未だ最前線

柘植がオープニングで戦っていたところは東南アジア某国と紹介されていました。そして荒川のセリフで「日本が単なる戦線の後方である」と言われています。つまり二次大戦時に前線となっていた東南アジア諸国は未だに日本にとっては最前線であるという事です。日本軍の占領は終わったとはいえ、そこに国連組織として派遣された、日本の自衛隊がいます。更に、その過激な武装勢力組織が東南アジアに広がればアジアの不安要素が増えることになり、日本にとってはピンチ!(北朝鮮みたいな。)つまり日本は日本を守るためにも東南アジアに国連という形で軍を送っているのです。これが日本の戦後の平和という幻想と、戦争という現実となって、対比されています。さらに他国の戦争で犠牲をという代価を払わせ、自国は平和を享受し、戦線の後方はいつまでたっても身に迫る危険に気づかない。まさに戦時中の勝ってる時の日本ですね。

以上三つのポイントでした。まあこれ以外にも映画にはいろんな説明があるので異論はあるとは思いますが。とにかく平和な戦後ってのは嘘だったという事です。だからこの映画のメッセージってのは「この国はもう一度戦後からやり直すことになるのさ」ってことだったと。

次に柘植と映画監督の関係を解説します。柘植の行ったテロ、すなわち、受け手は絶対的安全な場所において最高度のスリルと危機感を体験しメッセージを受け取る、とはまさに映画であると言えます。つまり柘植は自分のメッセージを言葉や文章ではなく実際のテロで伝えようとした映画監督の立場にいるのです。そして柘植の終盤のセリフに注目!「ここからだとあの街が蜃気楼に見える。」これは自分があまりにも映画という幻の世界に入りこんでてしまったがゆえに周りの人たちが逆に幻の中に生きているように見えるということです。私はこんなに大事なことを知っていて、伝えようとしているのに誰も耳を傾けず、尋常な日々を過ごしていく。そんな光景を見て柘植から出た一言ではないでしょうか。そしてもう一つのセリフ。ラストですね。「この街の未来をみたかったのかもな」。これは僕が先日ユーチューブで見た動画の宮崎駿監督のゲド戦記の感想を思い出させます。「気持ちで映画をつくっちゃいけない。世界を変えるつもりで作らないと。まあ、変わんないんだけど。」どうせ自分が伝えたって、それで世界が変わるわけでもない。だけど、それじゃあ、作品を作る意味はないわけで。99パーセント変わらないかもしれないけど、もしかして、1パーセントでも変わる可能性があるかも。そう思って初めて作品は生まれてくるものではないでしょうか。

パトレイバー2は押井監督の映画の中でも一番好きです。なのにみんな攻殻機動隊ばっかで寂しい。